こんにちは、ヒロアカ大ファンのくらうんです。
アニメは何周見たかわからん。
原画展にも足を運びました。
スマホ待受は死柄木弔。
youtubeでもヒロアカ関連の動画を見てることが多いです。
今回はそんな人間がお送りさせていただきます。
ヒロアカアニメ7期のオープニングテーマの『誰我為(たがため)』、かなりかっこいいですよね。
正直言うと、『誰我為』を謳っているTKさんや、彼が所属する「凛として時雨」というバンドのことはほとんど知らなかったのですが(『東京喰種』のオープニングぐらい)、この一曲で一気に魅了されて他の曲のPVとかも色々みちゃいました。
僕の友人にインディーズ時代からファンの子がいるのですが、彼女曰く、
TKさんはアニメ主題歌を書く時とか、その作品をちゃんと読み込む人だよ。
とのことだそうで、好感度も爆上がり。
思えば『誰我為』という曲も、ヒロアカ要素(特に7期)が多くに盛り込まれた曲で、もう最初に歌詞を見たときから作中シーンが想起されて、ウルウルしまくってました。
さて、そんなヒロアカガチ勢、
『誰我為』にガチハマり中の僕ですが、今回はこの曲を
TKさんがめちゃくちゃヒロアカを意識しながら創ったと仮定して、解釈&考察してみました。
僕はTKさんをあまり知らないので、
「別にもともとこういう曲書く人だよ〜」
と言われてしまえばそれまでなのですが、
だとしても、「歌詞がヒロアカにリンクしすぎている」+「ヒロアカという作品への解釈力が高すぎる」と感じたので、若干妄想を交えながらもこの記事をヒロアカ観点でガチ考察してみようと思います。
ヒロアカファンの皆さんと一緒にこの曲の良さをシェアできれば幸い!!!
ヒロアカ7期OP『誰我為(たがため)』歌詞全文
シャボンのように解き放たれて弾けた
絶え間ない不安と誰かの理想が
ねぇ笑って見つめて
あの頃の希望(ゆめ)の色は
弾ける前に映し出した 虹色吸い込めばむせて飛べないままで
堕ちれば輪郭だけを遺して(消える)
あの空と僕を光で透かして
折れ曲がりながら何色に飛べる?憧れが僕に突き付けた夢よ醒めないままで
僕は何度も再生する 誰我為?ボロボロの世界眺めて
奪われたものを並べて
立ち上がれるか這い上がれるか
その先に光るプリズムいつかこの身体が消えても
消せないほどの輝きを
誰かの為に遺させて触れるものすべて壊してばかり
あの日に臨界点を超えたんだ僕には何にもないから
何色でもないカラー
差し伸べられてるその手が怪物だとして希望にも絶望にも会えてしまうこの願いが
憎しみを再生する
誰我為?誰もが見上げるほど高い
あの空の蒼が理想なら
届かなくても 届かなくても
この血よ 無限の蒼になれ
いつかその希望(ゆめ)が絶たれても
消せないほどの輝きを
あなたの為に遺させて yeah僕は誰かの為に僕は誰かになれる?
失くす怖さを超えて今
空に弾けた僕は誰かの為にすべてを捧げられる
こんなにも壊れてこんなにも怖くて
それでも永遠に
追いかけるよシャボンのように解き放たれて弾けた
絶え間ない不安と誰かの理想が
ねぇ笑って見つめて
あの頃の希望(ゆめ)の色は
弾ける前に映し出した 虹色
TK自身が語るヒロアカと『誰我為』の関連性。
本題に入る前に、TKさんが『音楽ナタリー』や『日経エンタテイメント』に対して語った『誰我為』の制作に関する話があるので、まずはそちらを確認していきましょう。
まずTKさんは今回の主題歌成果の依頼が来た際に、
TKはアニメ側から主題歌制作の依頼が来た際、今までに感じたことがないドキドキ感とワクワク感を感じ、「やるからには新しいものを見せたい」と思い制作に取り掛かった
とのこと。
TKさんが感じた「ドキドキ感」と「ワクワク感」がどれほどのものだったのかは文面からは分かりませんが、少なくとも「やるからには新しいものを見せたい」はとても成功しているんじゃないかと思いますね。
いい意味でヒロアカのOPっぽくない、しかしヒロアカの内容にしっかり則した楽曲だなと感じています。
各誌コメントをwikipediaがうまくまとめてくれていたので、いくつか抜粋しますね。
TKは原作漫画を読む前はもっと明るい作品だと思っていたが、敵側にもフィーチャーした本作に作品の奥行きを感じ、「今を更新していく緊張感が随所にあり、読んでいて音楽が自然と吸い寄せられる感覚」を覚え、クリエイターとして刺激を受けたという。
当たり前と言えば当たり前ですが、TKさんは『誰我為』を書くにあたって、やはりヒロアカをしっかり読み込んでくれていたみたいですね。「読んでいて音楽が自然と吸い寄せられる感覚」という表現が秀逸です。
「読む前はもっと明るい作品だと思っていたが〜」は同じふうに感じた読者もきっと多かったはず。
TKは今までにアニメの主題歌に起用された楽曲も聴き自分にしか書けないものを考えたところ、「楽曲を聴くと物語の奥底にあるものが浮かび上がってくるものにしたい」と思った。「自分は何を残せるのか」考え、「その瞬間までを全力で生き抜く」という自身の音楽活動とヒーローと敵の戦いの中で「自分はどうやって、何を求めて生き抜くのか」という物語を重ね合わせて制作した
引用:wikipedia
こちらのコメントからも、ヒロアカをしっかりと読み込んだ上で書かれた楽曲だということが伺えますね。
歌詞は、「誰のためなのか」というテーマを基に、自身とヒーローを重ね合わせ、敵の存在も意識しながら立体的に捉えて書かれた。また、1番はヒーロー、2番は敵と楽曲のセクションによって歌詞が違う視点が描かれている
引用:wikipedia
!
これは重要なポイントですね。
1番はヒーロー、2番は敵。
もうこの話だけで、歌詞の中のいろんなワードがヒロアカキャラを想定して選ばれているのだということが確定したと言えそうです。「敵の存在も意識しながら立体的に捉えて〜」がとてもヒロアカの作風ともリンクしていていいですね。
主題歌担当が発表された時のTKさんのコメントは以下の通り。
個性もない、才能もない、ヒーローとはあまりにも程遠い自分が作品の為に描けるものは何かをずっと考えました。ふと目の前を飛んで来たシャボン玉が、あまりに鮮やかな虹色を映してコンクリートに形を遺して消えた瞬間、この曲のテーマが生まれました。奪われながら、痛みすら手に入れながら続くこの戦いは自分の為か、誰かの為か。ボロボロの世界に射し込む輝きがこの楽曲と共に刻まれます様に。
—TK
引用:JAPAN billboard
【】ヒロアカ7期OP『誰我為』を、ヒロアカ視点で考察・解釈してみた
それでは、『誰我為』の歌詞をパートごとに分けて考察・解釈していきたいと思います。
1番
シャボンのように解き放たれて弾けた
絶え間ない不安と誰かの理想が
ねぇ笑って見つめて
あの頃の希望(ゆめ)の色は
弾ける前に映し出した 虹色
まずは冒頭です。
こちらはTKさんがヒロアカを読んで思いついたというより、日常生活の中で思いついたということがコメントでも示唆されていましたね。
ふと目の前を飛んで来たシャボン玉が、あまりに鮮やかな虹色を映してコンクリートに形を遺して消えた瞬間、この曲のテーマが生まれました。
音楽ナタリー
コメントを読む感じ、特定の誰かをイメージしながら書かれた部分ではなさそうです。
ただ、このパートで使われているいくつかのワードは、ヒロアカ内のシーンを想像させるワードでもあります。
具体的には、
「絶え間ない不安と誰かの理想」
「あの頃の希望(ゆめ)」
の2つ。
ヒロアカ世界の一般民衆たちは、7期開始時点で、
- 平和の象徴の不在
- ヴィラン連合の台頭
- どうなるかわからない今後
などに「絶え間ない不安を感じている」と思います。
6期の最後でもそれが爆発するシーンが描かれていました。
一旦は、その不安が解消されることが「理想」と捉えていいでしょう。
また、主人公のデクをはじめとする
ヒロアカ内の多くのキャラクターは、
「あの頃の希望(夢)」
を持っています。
作中でもそんなシーンが多く描かれています。
しかしそれはデクやかっちゃんなどのネームドキャラだけではなく、名前もないモブたちも同じ。
そういった不安や夢を抱えた「誰かの命」が、
激化するヴィランたちによってによってある日突然途絶えてしまったら、
「シャボンのように解き放たれて弾けた
絶え間ない不安と誰かの理想が」
という状態が出来上がります。
そして実際に7期開始時のヒロアカ世界では、
このような出来事がいたるところで起こってますね。
ヒロアカ世界を意識して描かれたパートだと個人的には感じました。
では、次パートにいきましょう。
ねぇ笑って見つめて
あの頃の希望(ゆめ)の色は
弾ける前に映し出した 虹色
個人的にオールマイトに憧れるデクやかっちゃんたちが想起されました。
しかし、このパートが前のパートの「誰か」に連なるなら、特定の誰かを想起して書かれたパートではなさそうですね。
吸い込めばむせて飛べないままで
堕ちれば輪郭だけを遺して(消える)
あの空と僕を光で透かして
折れ曲がりながら何色に飛べる?
ここも引き続き、ヒロアカを直接想起させるワードは少ないかな、と僕は考えました。
「吸い込めばむせて飛べないままで
堕ちれば輪郭だけを遺して(消える)」
こことかはは強引にヒロアカと繋げて考えれば
- 何か夢があってそれに向かって飛ぼうとしているが、叶わない
- 飛べなかった人たちが夢をあきらめて消えていく
- あるいはヴィランに堕ちていく
みたいなシーンはヒロアカの中に結構あります。
- 過去の大きな失敗経験からヴィラン堕ちしてしまったジェントル・クリミナルとか
- 守る対象であるはずの民衆から罵倒を浴びせられ、自分の弱さと平凡さに絶望してヒーローをやめたデステゴロとか
TKさん曰く、一番はヒーロー視点で描かれており、なおかつこの曲自体はTKさんが、「自身とヒーローを重ね合わせて」描かれているとのこと。
凛とし時雨の昔からのファンである僕の友人によると、TKさんは「生きづらさ」が前提にある歌詞を描くことも多いそうで、アーティストという職業柄、今まで多くの苦難も乗り越えてきたことでしょう。
そういった自分を作中ヒーローたちと重ねたとすると、このパートはヒーローたちが抱えるいろんな葛藤や不安を描いている、と考えて良さそうな気がします。
憧れが僕に突き付けた夢よ醒めないままで
僕は何度も再生する 誰我為?
こちらはサビに入る寸前のパートですね。
曲がものすごく盛り上がってくるところです。
ここはかなりヒロアカ感ありますよね。
前半はデクにもかっちゃんにも焦凍にもお茶子にも言えること。
彼らはみんな憧れや夢が合ってヒーローになってます。
そしてこれは、ヒーローだけでなく
若き日の死柄木弔……志村転弧にも言える。
特に後半部分の 「何度でも再生する」はかなり死柄木感がありますよね。
あえて別の解釈をするなら、
「何度打ちのめされても立ち上がるヒーロー」
という線もありますが、こちらは「再生」ってワードがしっくりこない気がします。
では、仮に死柄木のパートだと仮定すると、「誰我為」なのか。
死柄木はなんのために戦っているのか。
これはアニメだとまだ不明ですが、ヒロアカ本誌の先の物語でしっかり描写されています。
これについてはネタバレになってしまうので、記事の後半の「ネタバレあり」のエリアに記載します。
では、次のパート行きましょう。
ボロボロの世界眺めて奪われたものを並べて
立ち上がれるか這い上がれるか
これはヒーローサイドにかかってそうな歌詞ですね。
アニメ7期の初頭では、デクとお茶子がまさに「ボロボロの世界」を見つめているシーンがありました。
最終決戦前、ヒーローサイドは、
多くのヒーローの負傷や死、引退によって大幅に戦力が失われてしまいます。
ヴィランたちの破壊や暴走で世界はボロボロ、インフラもめちゃくちゃ。
公安委員会も機能してない。
ヒーローたちは多くのものを奪われた。
それは人の命や建物だけではなく。ヒーローという存在への「信頼」もそう。
7期開始時点でのヒーローたちは、かなりの苦況にいるわけです。
「立ち上がれるか」
「這い上がれるか」
この言葉は今のヒーローたちにピッタリと言えるでしょう。
そして……
その先に光るプリズム
これはヒーローたちが諦めず戦い続けた先にある「栄光」を指していると言えそうです。
また、別角度から考えると、
この部分にはA組の青山優雅が関係していると僕は思ってます。
というか、個人的には彼がこのパートの主役だと思ってます。
アニメでもこの歌詞のシーンで青山くんが空に向かってネビルレーザー打ってるしね!
ちなみに、プリズムとは英語で「光の屈折・分散」のこと。
ヒロアカにおいて光の屈折といえばこの子です。
みんな大好き葉隠ちゃん。
アニメ7期では、青山くんのネビルレーザーを
葉隠ちゃんが屈折させるシーンもアニメ7期では描かれました。
そう、プリズム。
ヒロアカにおいてプリズムは、青山くん、葉隠ちゃんにぴったりの言葉です。
ちなみに凛として時雨ファンの友人に言わせると、
TKさんは昔から「プリズム」って単語をよく使うよ
らしいのですが、でも僕は、7期に青山・葉隠のプリズムコンビがフォーカスされることを踏まえて、TKさんがこの単語をチョイスしてくれたのだと信じたいです。
7期のはじめでは、青山くんが内通者であることがバレ、その後のヒーローの戦いや青山くん自身がどうなっていくのか、ということが描かれました。
ということを踏まえ、青山くん視点で見ると、
立ち上がれるか這い上がれるか
その先に光るプリズム
この歌詞が本当にピッタリすぎる気がします。
ご存知の通り、青山くんは根っからの悪ではない性格のキャラクターです。
他人を責めるよりは、自分を責めるタイプ。
だから、内通者であることがバレた彼は、
死にたい。いなくなりたい。と自分を責めたことでしょう。
でもそんな風に思う自分の手をまだ引こうとしてくれる仲間たちがいる。
投げ出すことを許さない恩師もいる。
ならば、彼はもう戦いしかない。
自己嫌悪やAHOへの恐怖に苛まれながらも
戦おうと決意した青山くんの「立ち上がれるか」「這い上がれるか」。
そしてその奮闘・奔走の先にある「プリズム」。
後に続く歌詞の、
いつかこの身体が消えても消せないほどの輝きを
誰かの為に遺させて
「輝き」というのも青山くんっぽい。
Can’t Stop Twinklking(キャントストップトゥインクリング)。
自分が消えてもいいから誰かのために輝きたい。
……そんなふうに解釈すると、青山優雅というキャラクターがこの歌よってさらに深まって、とても良い歌詞だなと思うのです。
次行きましょう。
2番
ここからはヴィランの視点も入ってくるパートです。
触れるものすべて壊してばかり
あの日に臨界点を超えたんだ
ここはかなり死柄木感ありますよね。
触れるものを意図せず壊してしまう死柄木。もとい志村転弧。
「あの日臨界点」というワードも、死柄木視点だと思い当たる点があります。
僕には何にもないから
何色でもないカラー
ここはスピナーっぽいなって思いました。
スピナーってヒロアカの中でもトップクラスで小市民的で、教官がモテるキャラクターだと思うのは僕だけでしょうか。
僕も病んでたときはよく、僕には何もない、何色でもない、(生きている意味がない)とか考えてました。
スピナーも7期ではフォーカスされる話があるので、ここでスピナーの名前が出てきても唐突感はないですよね。
次。
差し伸べられてるその手が怪物だとして
ここはめちゃくちゃ死柄木ですよねー。
前のパートの「僕には何にもないから 何色でもないカラー」は、スピナーも連想されましたが、メインは死柄木のことだと思います。
「全人類が漏れなく個性を発現する」と言われているヒロアカ世界。
その中で、4歳を超えても無個性だった死柄木(転弧)はまさに「何もない、何色でもないカラー」です。
でも個性が突如発言し、それが原因で自分を守ってくれるものを全て壊してしまった。
家族もいない。友達がいる街には帰れなくなった。
ボロボロになった彼に見ないふりをする街の人たち。
いつまでも助けに来てくれないヒーロー。
そんな状況に5歳の少年が直面したら、
「差し伸べられてるその手が怪物だとして」も、その手をとってしまっても仕方ありません。
希望にも絶望にも会えてしまうこの願いが
憎しみを再生する
誰我為?
ここもあえてキャラクターを当てはめるなら、やっぱり死柄木かなーと思います。
これ、ヒロアカのことを一旦抜きに考えても「この願い」ってのはどんな願いを指してるのか気になりますね。
誰もが見上げるほど高いあの空の蒼が理想なら
届かなくても 届かなくても
この血よ 無限の蒼になれ
いつかその希望(ゆめ)が絶たれても
消せないほどの輝きを
あなたの為に遺させて yeah
「誰もが見上げるほど高いあの空」は7期初頭の、死柄木とスターアンドストライプとの上空戦を連想させます。
「誰もが見上げるほど高い」「蒼」というのは、オールマイトっぽくもある。
後半部分の歌詞は、そんな彼の背中を追い続けて、誰よりもその背中に近づいたけれど届かなかった、
多くの人に鮮烈な印象を遺して散っていったスターっぽい歌詞だなと僕は感じました。
僕は誰かの為に僕は誰かになれる? 失くす怖さを超えて今空に弾けた
僕は誰かの為にすべてを捧げられる こんなにも壊れてこんなにも怖くて それでも永遠に
追いかけるよ
ここは死柄木っぽいかなーと個人的に思いました。
間違いなく今の自分は最強だけど、自分が何者だかすでによくわからないし、どうなっていくのかもわからない、多くの人たちから敵意を向けられている心境というのは20歳そこらの青年にはきついはず。
今のハイな死柄木がふと冷静になったらこんな心境にもなりそうだなと思いました。
シャボンのように解き放たれて弾けた
絶え間ない不安と誰かの理想が
ねぇ笑って見つめて
あの頃の希望の色は
弾ける前に映し出した 虹色
最初の繰り返しですね。
最後にもう一度このフレーズを持ってきてるのめっちゃいいなと感じました。
以降ネタバレあり
以降はネタバレを含んだ考察・解説です。
まあそんな重いなネタバレはないと思いますが、どんな些細なネタバレでも見たくないよって方はここでお戻りください。
あ、でもその前に、この記事とかめっちゃ力入れて描いたので、よかったら見てもらえると嬉しいです。
▶️【ヒロアカ】キャラクターの本名・名前の由来をまとめてみた。
ネタバレOKの方はこの先にも進んでください。
死柄木の「誰我為」。
上で僕は、以下の部分が死柄木を連想させるパートだと書きました。
差し伸べられてるその手が怪物だとして
希望にも絶望にも会えてしまうこの願いが
憎しみを再生する
誰我為?
まあ前半は間違いなくそうですよね。
じゃあ後半はどうなのか。
死柄木はなんのために、何度も再生しながら、
憎しみを原動力にしながら戦ってるんだろう。
誰我為?
その答えは本誌の終盤で明らかにされました。
これ本誌で読んだとき、僕は泣きました。
死柄木一番大好きなキャラだってのもあるけど、可哀想すぎて泣けた。
死柄木弔、いや、志村転弧って、
人生の最初から最後まで全部オールフォーワンに仕組まれてたんですよね。
この時点では転弧自信も知らなかったけど、のちにそのことが明らかになった。
5ちゃんでは「ジャンプ史上一番可哀想なラスボス」なんてスレも立ってました。
「悪い大人」に手のひらの上で転がされて、夢も信念もないままチンピラたちのリーダーをやっていた初期の死柄木。
でもヴィラン連合の仲間と共に奮闘する中で、彼は自分の信念を見出し、「子供大人」からヴィランの首領へと成長していった。
やってることは悪。
数えきれないほどの人を殺した。到底、許されることではありません。
一般的な倫理観から言えばクソみたいな奴らだけど、そして仲良し子よしの集まりでもないけれど、死柄木なりにみんなのことが好きで、ヴィラン連合って「居場所」が大好きで、みんなの為に戦っていたんだよね。
漫画では彼を応援する日陰ものたちの姿も描かれました。
これ、正義感が強くてポジティブな人ならあまりピンとこないかもだけど、僕は陰キャで人生がしんどい時期も長かったので、彼らの気持ちに共感できる気持ちもありました。
ほんと誰かに日常をぶっ壊してほしいというどこまでも他力本願な弱者の気持ちはよくわかります。
でも、ヒロアカは話の作り方が上手だから、ヒーロー側の気持ちもよくわかる。そして闇属性の陰キャラでも熱くて爽やかな気持ちになれる。
なので最後の戦いを読んでる時は、ヒーローも応援したいしヴィランも応援したいし、ハチワレの「心が2つある〜」みたいな気持ちで作品を読んでました。
ほんと毎週のジャンプ発売日が楽しみすぎた。
ヴィランも味方を変えれば誰かのヒーローだったりする。一方の視点からではなく、多方面から1つの抗争を描き切った堀越さんはほんとすごい作家さんだなと思います。
…と、少し話が逸れてしまったので話を戻すと、
「僕は何度も再生する 誰我為?」
この歌詞。
TKさん、堀越先生からヒロアカの最後の展開を聞いたのかなあってどうしても考えてしまいます。
その辺にいるチンピラからいきなり世界最強レベルの力を持って、体の内側からAFOに語りかけられたり、体乗っ取られそうになったり、自分でも何が何だかワケがわからなくなりながら
「俺はなんのために、誰のためにこんな必死になってんだろう」
みたいなことを考えたりもしてたのかなと思うと、以下の部分も死柄木っぽいなと思いました。
僕は誰かの為に僕は誰かになれる? 失くす怖さを超えて今空に弾けた
僕は誰かの為にすべてを捧げられる こんなにも壊れてこんなにも怖くて それでも永遠に
追いかけるよ
まあ妄想がだいぶ入ってると思いますが。
僕がこの記事を書いてる時点では、ヒロアカも残り3話くらいで終わるところで、死柄木は最後まで「誰かが手を差し伸べてあげていれば……」という可哀想な悪党として描かれていました。
そんな彼が最後にスピナーに遺した言葉で、それを受け取ったスピナーの言動で、涙腺が脆い僕はまた泣きました。
ほんとすげえ作品ですよ。
そんな作品を最高に盛り上げてくれた『誰我為』とTKさんには感謝しかないです。
まとめ
今回はいちヒロアカファン目線でヒロアカ7期『誰我為』の歌詞を解釈してみました。
いかがだったでしょうか。
僕個人としてはかなり妄想が入った記事になっちゃったかな、とも後悔してますが、少しでも共感が持てた方、あるいは「こここうなんじゃない?」と思った方はぜひ、コメントでもしてくれると嬉しいです。
この素晴らしい楽曲とヒロアカについて色々議論できたら嬉しい。
それでは長くなりましたが、今回はこの辺で失礼します。
コメント